前田完さん・苑子さん


夫婦ふたり初期投資500万円ではじめるいちご農家


紹介

出身地:大阪府
前職:会社員
家族構成:夫・妻
研修開始時の年齢:30代
栽培方式:土耕栽培
栽培面積:7a(いちご 本圃6a、育苗1a)
投資額:500万円(うち補助金75万円)

生活時間のすれ違いから、新しいライフスタイルを模索


前田完さんと苑子さんは、結婚後も大阪市内の会社でそれぞれ働いていましたが、シフト制の勤務体制で一緒にいる時間が少ない日々が続いていました。そんな中、ふたりで過ごせる貴重な休日には、自宅から車で1時間ほどの距離にある紀の川市へ足を運ぶのが楽しみだったといいます。果樹畑や田んぼが広がる「ほどよい田舎」の風景に惹かれ、「いつかこの地で暮らしたい」という思いが芽生えていきました。

少ない面積でも収益性の高いいちごに可能性を感じる


紀の川市には農業で生計を立てる人も多く、ふたりの関心も農業へと向かうようになりました。「自分たちでやるなら何ができるか」を考え、就農フェアや体験プログラムに参加しながら情報を収集。
最終的に紀の川市役所に相談したところ「紀の川アグリカレッジ」のいちご栽培研修を紹介されました。いちごは、広い農地がなくても工夫次第で収益が上げられる可能性があると知り、説明会や視察会を経て研修への参加を決めました。

ふたりで技術を習得し、作業を分担


紀の川アグリカレッジでは研修生から実習先農家の希望を聞き、マッチングしています。現地視察会で研修受入先農家を訪れ、いちご栽培歴50年以上という80代のベテラン農家の話を聞いたふたりは、「ここで研修を受けたい」と意見が一致。夫婦そろって同じ師匠のもとで、2年間にわたりいちご栽培を学ぶことにしました。

夫婦で就農するということは、ふたりで「農業という事業」を始めるということ。最初からその意識を共有し、経営に対する覚悟を持って研修にのぞめば、おたがいに責任感が生まれます。苑子さんは、「夫婦だからと甘えることなく、それぞれが独立就農できるレベルの栽培知識を習得するという強い意志をもち、勉強を続けてきた」と振り返ります。夫婦ともにいちごの栽培知識や技術を学ぶことで、作業の精度や経営判断の柔軟さが増し、結果的に就農後の経営の強みにもつながります。

金銭的な不安があっても、2年間の学びには大きな価値があった


もちろん、夫婦ふたりでの研修参加に不安がなかったわけではありません。2年間の研修中はおたがいに収入がゼロになります。ふたりは国の支援制度「就農準備資金」を活用し、半年ごとに補助金を受け取ることができましたが、それでも生活費のやりくりには常に気を配る必要がありました。

どちらかが病気やケガで離脱すれば、就農計画が破綻するかもしれないという緊張感が常にあったものの、「いちごの作業には年に一度しかない工程もあります。1年の研修では1回しか経験できませんが、2年なら2回勉強できます。その差はとても大きかった」と、完さんは振り返ります。

初期費用をとことん抑えて就農を実現。その秘訣は「自ら動くこと」


完さんと苑子さんは、就農するにあたり自己資金と補助金を活用し、約500万円の初期投資でスタートしました。
初期費用を抑えるため、自分たちの時間と体力を最大限に使って対応。古いハウスを修繕し、いちごを植えるほ場の整備も手作業で行いました。引退するいちご農家から譲ってもらったハウス資材は、解体作業を手伝って確保し、トラックで運搬。紀の川アグリカレッジの仲間も一緒に行ってくれました。「できることは自分たちで」という姿勢が経費削減につながりました。

研修先と市のサポートにより農地を確保

研修が始まった時から、土地を借りるのにハードルが高いことは意識していたので、早い段階から市役所に調べてもらったり、自ら声をかけに行ったりと、土地探しをしていたそうです。最終的に、研修先農家のサポートで借りることができました。

「いちごの栽培に必要な条件がそろった土地を自分たちだけで見つけるのは、やはり難しかったと思う」(完さん)

紀の川市の担当者は土地の賃貸契約や地区の方などへのあいさつにも同行してくれるなど、手厚くサポートしてくれました。

地域と仲間の支えが、困難を乗り越える力に


地域の方々とのつながりも、費用を抑えるうえで大きな助けになっています。資材や農機具を貸してもらえたり、ふたりだけでは時間がかかる作業を手伝ってもらったりすることも多いそうです。
また、仲間たちにも支えられたと話す完さん。
「研修と就農準備が重なって大変だったときに、ケガをしたり腰を痛めたりしてしまったんですが、同期や後輩たちに助けられました。仲間がいてありがたいと実感しています」

時間にしばられないライフスタイルが実現できた


完さんと苑子さんの生活スタイルは、以前とは大きく変化しました。収穫の繁忙期には時間に追われることもありますが、自然の中で季節の移ろいを感じながら身体を動かして働けることに、何ものにも代えがたい開放感を感じているそうです。
就農してからお互いの新たな一面を知ることができたことも、大きな収穫のひとつだと振り返ります。完さんに対し「こんなこともできるの?と思う瞬間が何度もあった」と話す苑子さん。日々の作業を通じて自然と信頼が深まり、ふたりの関係にも良い変化が生まれました。

柔軟な販売戦略で「売れる」工夫を続ける


就農当初は市場出荷を想定していましたが、現在は地元の産直マーケットへの出荷が9割を占めています。営業職の経験をもつ完さんは、各店舗の担当者と日々やりとりを重ね、売上の動きに応じて出荷量や内容を柔軟に調整しています。売上データは1時間ごとに確認しており、早い時間に動きが良ければ追加出荷を提案することも。

限られた面積での栽培だからこそ、単価を保ちつつ売り切る工夫が、最終的な売上に直結します。販売状況や陳列場所、荷姿なども細かく確認し、次回出荷に反映。そうした対応の積み重ねが、店側からの信頼にもつながっています。
1つの農園の中にふたりの農家がいることで、それぞれが得意分野を生かして役割分担し、売上アップにつなげています。

苗づくりの専門家を目指し、地域全体のレベルアップへ


今後も営農は基本的に夫婦ふたりで続けていく方針です。自分たちの手がしっかり届く範囲で、品質の高い栽培を維持することを重視しています。
来シーズンからは、本圃の面積を徐々に広げていく計画があります。ただし、苗の本数を増やすのではなく、株間を広げることで1株あたりの品質や収量を高める工夫をしていくつもりです。大規模化よりも、効率と品質を両立したかたちを目指します。

将来的には「苗づくりのスペシャリスト」としての道も見据えています。近年の猛暑による影響で、全国的にいちご苗の育成が難しくなっており、苗不足で出荷できないケースも増加。そんな中、自分たちが安定した苗を供給することで、地域ブランドのいちご「まりひめ」の産地全体を支える存在になりたいと、前田さん夫妻は考えています。

本気で飛び込む覚悟があれば、農業は手の届くところにある


夫婦ふたり同時に研修を受けて就農した前田さん夫妻。家族で農業を始めたいと考えている方のひとつのモデルケースといえるでしょう。

「融資や補助金を受けるにしても信用が大切です。どこまで本気で農業をやる覚悟を見せられるかが重要ですね」(完さん)

「もし補助金などの支援が受けられなかったとしても、それでも農業を続けたいと思えるか。たとえ収入が下がったとしても、どこまでなら耐えられるのか。資金面の不安は生活に直結するからこそ、夫婦でしっかりと話し合っておく必要があると思います」(苑子さん)

※2025年5月時点の情報です。